• ゆっきー監督

ゆっきー監督のサブカルチャー談義10

先日話したとおり、今回はこちらの作品について談義しましょう。


サリンジャー作「バナナフィッシュにうってつけの日」

1948年ニューヨーカーにて発表。

以後、9つの短編から成る短編集「ナインストーリーズ」に収録。


サリンジャーという名前くらいは誰もが知っているでしょう。


「ライ麦畑でつかまえて」の作者ですね。

ライ麦といえばサリンジャー、サリンジャーといえばライ麦と言えるほど、この作品は世界中で絶大な支持を集め、サリンジャーのその後の人生を大きく変えることとなりました。


ライ麦は今でも毎年50万部は売れているそうです。


70年前の作品が毎年50万人もの人に今でも読まれているって…とんでもないことですよ…。


長くなるのでライ麦に関してはまたいつか談義しましょう。


ライ麦を発表する数年前にこの「バナナフィッシュにうってつけの日」は発表されました。


シーモア グラースという青年が主人公のこの短い作品こそ、サリンジャー文学の中心であり、全てといっても過言ではありません。


ちなみにシーモアを純粋な少年としてデフォルメしたのがライ麦のホールデン少年です。より率直に、より分かりやすく造形しています。


さて、この「バナナフィッシュにうってつけの日」、そしてその主人公のシーモア グラースがなぜそこまで重要な作品となったのでしょうか?


有名ですが、サリンジャーは晩年全く作品を発表していません。


ライ麦以降、正式に発表されたのはシーモアを長男とする「グラース家」にまつわる物語ばかりです。


「バナナフィッシュにうってつけの日」で、衝撃を与えたシーモア。


謎の男、長兄シーモアの存在にどこか翻弄されている弟や妹たち。それは愛情であり、尊敬であり、劣等感でもあり、いわば誠実な人間の感情を素直に浮き彫りにしています。


サリンジャーという作家の後年はほぼこれのみを描いています。


まるで「究極的に誠実な人間はどんな人間か?」という命題に取り組んでいるように僕には感じられました。


とはいえグラース家の物語はナインストーリーズ以降は「フラニーとゾーイ」「大工よ…」「シーモア序章」しか、しばらく日本ではお目にかかれませんでした。


僕が知った時には遺作「ハプワース」はすでに絶版となっていたのです。


まだインターネットも普及していない時代で、本屋でしか本を買うことができなかった時代。


文献を調べるとサリンジャーは1965年に「ハプワース16、1924」というグラース家作品を発表していることを知った僕はかつて怒涛の「本屋アタック」を日々行っていました。


知っている本屋、図書館に全てに通い、目に入った古本屋は必ず入り、その謎の「ハプワース」なる本を探しまくりました。


もしかしたらあるかも、と期待を胸に三日に一回くらいは本屋に行ってたんじゃないですかねえ笑。


ところが本当にどこにもない。絶版ですから普通の本屋にはないのは分かっていたのですが、どこかの怪しい古本屋に一冊くらいは普通あるもの。


そして絶版とはいえ、気付けばなぜか店頭に再刊行されているほど、本の著作管理も謎ですから笑。


でも本当になかった。一冊も。


どれくらい探し続けたか…多分5年くらいは探したんじゃないでしょうか笑。


そうしていつのまにかサリンジャー全集が日本でも正式に刊行されることになり、そのうちの一冊に「ハプワース」が収録されていました。


結果的に労せず買えてしまった、と笑。


バナナフィッシュにうってつけの日→その後の兄妹たちの物語→ハプワース


という発表の時系列流れですが、ハプワースは「7才のシーモア少年が書いた手紙」という書簡スタイルでした。


つまりハプワースからグラース家サーガは始まるわけですね。


ただしこのハプワースではシーモアは7才です。


なのに難解な禅問答とかあったりするんですよ?


人間の欲求、大人のエゴを的確に射抜くんですよ?


かなり異常な7才です。


結果、この作品がサリンジャーの遺作になってしまったわけですが、批評家連中もここぞとばかりに叩きました。


確かにあまりに神秘的すぎて、超越しすぎていて


「この少年、神?」


と、サリンジャーを敬愛する僕でもツッコミをいれたくなるほど難解な作品でしたね笑。


バナナフィッシュで始まったシーモアを巡る旅の終着点(読者にとって)がまさかの神の領域ですからね、そりゃあ世間様は納得はしないでしょう。


正直、僕も「いやいや、ちょっと待てよシーモア君。いくら君でもそれは不可解すぎるだろ?」と感じました。


が、ふと思いました。


この「不可解なほど誠実な人間」を描くことにサリンジャーは人生を費やした作家だったのでは?と。


小規模の初期短編でも「どこか危うい主人公」ばかりです。


ホールデン君も「世界なんてインチキばっかで嘘ばっかだ!」と世間にやみくもに体当たりしていきます。

ライ麦が今でも愛されているのは「世間なんてインチキばっかだ!」と人はやはり思っているからなのでしょう。


シーモアという人間を「繊細過ぎる精神疾患」と断言する批評家もいますし、ホールデン君もやはりその傾向はあります。


あまりに真っ白すぎると人は黒を感じる


その絶対的心理を見透かしているようなシーモアにツッコむ我々読者。


この関係性がすなわちサリンジャーが描く心の在り方そのものでは?と僕は感じました。


色に例えて僕らの心は何色でしょうか?


多分皆が皆、白を望むでしょう。誰だって薄汚れた心にはなりたくないですよね。


でも本当に純白を欲していますか?


そもそも純白でいることってどういうことか分かってるんですか?


え?嘘が嫌い?


ではあなたは嘘をつかずに生きていくことを望んでるんですね?


嘘もある程度必要なそんな俗っぽい世間が嫌い?


でも僕らもまた俗っぽい世間の一部なんですよ。


…などという議論がつきない難題にサリンジャーは文学をもって抵抗しているわけです。


分かりやすく言えば


「狂っているのは俺か世界か?」


という一言がサリンジャー文学の命題になっていると言えるでしょう。


シーモアを精神疾患と見る傾向は、個人的に僕は断固否定派です。


何回も言いましたが「人が持つ誠実さって何?」「本当の意味で誠実になると人はどうなる?」


その答えを探したのがサリンジャーであり、具現化したのがシーモアなのかなと僕は思っております。


逆にいえば「人がこの現実で本当に誠実になるとこれほど危うい人間になる」ということをシーモアを通してサリンジャーは描いたのかなとも言えます。


ホラー要素は全くなく、文体も軽いタッチでユーモアに溢れているのにどこか怖い


この微妙なポイントを描くアーティストが僕は大好きなんです。


フランツカフカもそうです。


僕は17才の頃に「変身」と「バナナフィッシュ」に出会い、この二作品が決定的に僕の人生を変えました。


この二冊がなければ、僕は今頃普通のサラリーマンとして働いていたことでしょう。


集中して速読すれば、15分くらいで読めるかもしれない「バナナフィッシュにうってつけの日」


そんな小作品でも人にとっては宝物以上にもなりえます。


僕にとってはいまだにありとあらゆる「作品」で世界最高の作品の一つです。


余談ですが今現在「バナナフィッシュ」というかつての人気漫画がアニメ化されています。もちろんバナナフィッシュはサリンジャーからの引用です。


バナナフィッシュにうってつけの日とは当然全く関係ない物語ですが、面白いですね。


ギャング、薬物、というアメリカならではのサスペンスがベースになるとやはり一気に娯楽性が増しますね。アメリカ文化恐るべし。


複雑怪奇で謎に溢れ、でも優しく純粋な「バナナフィッシュにうってつけの日」


時間があればぜひ一読を。


これまたあなたの心をきっとえぐってくれるでしょう。


では次回の談義でお会いしましょう。


#サリンジャー #バナナフィッシュにうってつけの日  #バナナフィッシュ

 share 

  • Facebook Social Icon
  • Google+ Social Icon
  • Instagram - White Circle
  • Twitter Social Icon
  • Vimeo - White Circle
  • YouTube Social  Icon
  • MySpace - White Circle

​お問い合わせはこちらから

© 2016 by Team Nishinomori