• ゆっきー監督

ゆっきー監督のサブカルチャー談義18

今回のサブカル談義はこちらの作品です。



















ミステリーの女王こと、アガサクリスティーの作品「アクロイド殺し」


1925年に発表された灰色の脳細胞を持つ名探偵エルキュールポアロシリーズの3作目がこの「アクロイド殺し」です。


今となっては信じられない話ですが、記念すべきポアロが初登場した「スタイルズ荘の怪事件」は、数々の出版社にて不採用。


1916年、26才という若さで「スタイルズ荘」を書き上げた後の世界のミステリー女王は、当時不遇な扱いを受けていたのです。


本人も忘れていたらしいその4年後の1920年、脚光を浴びた「スタイルズ荘」にてクリスティとポアロはようやく文壇に登場することとなります。


さらにその5年後の1925年に「アクロイド殺し」を新聞にて発表したクリスティは、この作品で一躍有名作家となりました。


その理由は今も語り継がれるほど、「アクロイド殺し」が論争を巻き起こしたことによります。


フェアか?アンフェアか?


というミステリー界では伝説ともなっている「アクロイド殺し」のトリック。


ネタバレはしませんので安心してください笑。


確かに初めて読んだ時は「なんてことだ!」とそのトリックに思わず脱帽しましたが、最近改めて冷静に読んでみると、個人的にはアンフェア派だな、と感じました笑。


すごく悪い言い方をすると「それはずるいだろ!」と思ってしまうシーンが多々ありました。


もちろん全てのトリックを分かってる上で読むと、です。


物語が展開してる中で、「犯人」が裏で画策しているわけですが、トリックに直結するシーンでは描写の密度が明らかに下がっています。


当然ですよね。意図的に伏線張ったら犯人ばれちゃいますし笑。


そういった「無理な場面」がたくさんあり、公平さに欠けるなというのが率直な感想でした。


といっても、僕は「アクロイド殺し」を批判してるわけではありません。


もちろんこの作品は「傑作」です。大好きな作品です。


フェアではなくとも「傑作」という点に間違いはありません。


そもそもミステリーとは、読者も誰が犯人か考えながら読むからスリルを感じるわけですよね。


そしてなんとなく自分なりに推理した結果


「犯人はこいつだ!」と推測。


当たった時は「やっぱり!俺には分かってたぜ!」


外れた時は「マジか!そうきたか!」


となります。


つまりいずれのパターンでも結局は楽しめてしまう構造を持つのがミステリーの醍醐味と言えます。(雑なトリックの作品は別として)


そういう意味でこの「アクロイド殺し」はフェアではありません。


なぜなら初見では絶対に「外れるから」です。


それはトリックが難解ということではなく、小説手法の物理的な問題です。構造的、システム的に推測できないように書かれています。


例えるなら、密室トリックの正体が


「呪い」だった


的なずるさですね。


誰が呪いなんて不可思議なものを殺人方法として推測するのか?


読んでる最中にそんなことを考える人はまずいません。


こういった次元でのずるさがこの「アクロイド殺し」にあります。


ミステリーにおける傑作度はやはりその「トリック」に起因します。


例えば同じクリスティ作品の「そして誰もいなくなった」「オリエント急行」などはトリックが秀逸です。言うまでもなく傑作です。


ところがこの「アクロイド殺し」は同じ傑作でも毛色が違います。トリックに起因してるわけではないからです。トリックメインで考えるならずるい作品です。


ではなぜこの作品が今傑作として愛され読まれ続けているのか?


もちろん面白いからではありますが笑。


個人的な意見ですが、この作品は「ミステリーとしての技法」以上に「文学的技法」がずば抜けているからだと思っています。


これには少し歴史が関わってきます。


当時の世界文学界は、古典文学が新しい文学(20世紀文学)へ生まれ変わる真っ最中でした。1900年前半は、著名な作家たちが自分なりの手法を生み出し、新しい文学作品が多数世に出ていった時代です。


世界の文学がドストエフスキーやトルストイなど歴史的文豪の影響下から抜け出す時期です。


フランツカフカ、ヘルマンヘッセ、アーネストヘミングウェイその後にサリンジャーやカミュなど、世界的な作家が続々と登場します。


現代文学の礎を築いた作家達です。


彼らは新しい表現方法を模索し、実験し、その積み重ねは現代文学、現代芸術に大きな影響を与えることとなります。


当然ですが、当時はネットもスマホもゲームもありません。


イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどで、一般大衆の娯楽、もしくは偏ったインテリ臭が強かった「小説」が、芸術的な自己表現として新しい価値を帯び始める時代がこの頃です。


きっと文学というものが色んな意味で最も光り輝いていた時期ですね。今我々が知っている有名な作家(作品)はこの頃に書かれたものが多いのがその証拠です。


当時特に保守的だったのがイギリス文学界です。


新しいものを拒絶し、伝統を重んじる傾向が強かったイギリスにおいて、新しい手法は賛否両論を巻き起こします。


そこでクリスティは禁断の扉を叩きます。


ミステリーの常識を打ち破る「絶対にばれない、推測すらできないトリック」を、「小説の形態」と「執筆技術」を利用し、描くことに成功しました。


それがこの「アクロイド殺し」です。


「小説の形態」というのは、分かりやすく言うと一人称や三人称などの「システム」のことです。


「アクロイド殺し」はこのシステムを利用しています。


もちろん生半可な技術では描き切ることはできません。


「改めて読むと、場面場面でシステム上の無理があり密度が下がっている」ことはさっき述べましたが、その欠点を補ってあまりあるほどクリスティの技術はすでに巧みの域です。


これがプロとしての作品6作目ですから、まさに不世出の天才です。


「アクロイド殺し」の後、クリスティは数々の傑作を発表します。


きっとクリスティ自身、この作品で「文学」というものをはっきりと掴んだのではないでしょうか?


後年はポアロシリーズに飽き飽きしていた、という逸話が残されていますが、飽き飽きしていてもあれほどの物語が書けるのですから、恐ろしい才能です。


世界一読まれている作家の名は伊達ではありません。


睡眠時間がなくなるほど、ページをめくる手が止まらなくなる女王が残した傑作「アクロイド殺し」


ぜひお楽しみください。


もし初見で「俺には犯人が分かってたぜ!」


と見事に的中できる人がいるなら、ぜひ一報ください。


僕は諸々の考えを改めることにします笑。


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